今泉・氷川(ひかわ)神社

 

住所・・・上尾市今泉148
御祭神・・・素戔嗚尊(すさのおのみこと)

 

氏子地域・・・今泉


 今泉の地名は、当社の南方二〇〇メートルほどの所にあった湧水に由来する。この湧水は古くからこの辺り一帯の耕地を潤していた。古くは、当地は川村・向山村・壱丁目村と一村で大谷村と称したという。永禄八年(一五六五)六月二十一日の太田道誉書状写(史籍雑纂)に「今泉分」とあるのが当地の初見となる。
 当社は『風土記稿』今泉村の項に「氷川社 村の鎮守にして、本地正観音を安せり、この社もと向山・川村及び当村の鎮守なりしが、其後川村及び当村のみの鎮守とす。古は西福寺といへる別当あり、是も今は廃絶せり、貞治年中(一三六二~六八)の起立にして、古跡とのみ伝ふれど、さして證とすべきことなし、この別当廃してより後、村内修験本行院の持、末社、愛宕社、駒形明神社、稲荷社、天王社、太神社、三峰社、荒脛(あらはばき)社」と載せる。その創建については、もと当村を含む三か村の鎮守であった可能性が高く、また別当であった西福寺の開基年代から推して、中世にさかのぼるであろう。この西福寺の跡地は当社の東南五〇〇メートルほどの所であると伝える。また、後の別当本行院の跡地は当社の北東二五〇メートルほどの所で、金子隆治家がその裔(えい)である。
  明治政府の神仏分離を経て、当社は明治六年に村社となった。昭和五十一年には、本殿の屋根を草葺きから銅板葺きに替え、その折覆屋(おおいや)を新築した。
 祭礼は正月の歳旦祭、三月のふせぎ(春祈祷)、七月の祇園祭、十月のお日待ちの年四回であるが、九月には別宮の琴平神社で例祭が行われている。
 境内社に「八雲社」「三峯社」「稲荷社」「疱瘡社」「山王社」「「神明社」「駒形荒脛(あらはばき)日皇社」を祀る。