藤波・天神氷川八幡(てんじんひかわはちまん)合社

 

住所・・・上尾市藤波1-282-1
御祭神・・・菅原道真朝臣(すがわらのみちざねあそん)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)・誉田別命(ほむたわけのみこと)(応神天皇)

 

氏子地域・・・藤波

 当社は、藤波のほぼ中央の南東に低地が広がる台地上に鎮座している。昭和三十五年ごろまでは、その裾から清水が湧き出して「天神様の池」と呼ばれる三〇坪ほどの池を形成していたという。
 創建については不詳であるが『風土記稿』に「氷川天神八幡合社 村の鎮守なり、密厳院(みつごんいん)持」とある。別当の密厳院は相州鎌倉(神奈川県鎌倉市)の臨済宗円覚寺末で、瑞露山藤波寺と号する。元々は真言宗の寺であったが衰微したため、明応年間(一四九二~一五〇一)に叔悦禅師が、甥である岩槻城主太田資家(すけいえ)の招きに応じ、住職となり、禅宗の一派である臨済宗に改宗して再興した。
 禅宗では、室町期から天神を学問の祖として崇敬していた。このようなことから、まず真言宗密厳院が、見沼を見下ろす高台に鎮座する大宮氷川神社の分霊を地形が類似した当地に勧請した後に、鎌倉の地から鶴岡八幡宮の分霊を併せ祀り、更に改宗後の密厳院が、天神社を併せ祀ったものと思われる。当社を「天神様」と称するのは、密厳院が天神社の神徳を強調した結果であろう。
 当社は明治六年四月村社に列した。同十一年十二月三十一日に火災となり、社殿を消失したが、氏子の寄附により、同十三年九月二十五日に再興した。
その後、本殿が雨ざらしになっているのを憂えた氏子一同は、大正六年に本殿の覆屋を新たに建設した。
 年間の祭典は二月の祈年祭、九月の例大祭、十一月の新嘗祭の三回である。
そのうち、九月の例大祭には上尾市指定民俗文化財の「ささら獅子舞」が奉納されている。また、元旦には「餅搗き踊り」が行われている。
 境内社に「浅間社」「三峯社」「稲荷社」を祀る。