堤崎・愛宕(あたご)神社 

 

住所・・・上尾市堤崎329
御祭神・・・軻遇突知命(かぐつちのみこと)・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)


氏子地域・・・堤崎


 堤崎村は天正の末徳川氏の有となり、代官が所轄した。寛永二年(一六二五)阿部備中守の領地となっている。
 当社は、社伝によると、元禄十年(一六九七)のころ、村内に悪病が流行した折、これを鎮めるために創祀したものであるという。また、『風土記稿』堤崎村の項には、当社は地蔵院の境内社として載り、「愛宕社 勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)を安ず、是は加州大聖寺の禅苗和尚と云が刻める所なり、此僧は近来の人なればことに彫刻にたくみなりといへり」とある。
 地蔵院は、宝珠山と号した曹洞宗の寺院で、開山と伝わる一線斎は明暦三年(一六五七)四月に示寂している。神仏分離に伴い、明治五年に廃寺となり、現在、堤崎自治会館前に建つ地蔵堂(「本尊様」と呼ぶ)の中に、地蔵尊座像が、閻魔王像・大日如来像と共に納められている。
  また、当社の神楽殿に掛かる消防の半鐘として使用されている鐘には「武州足立郡堤崎村 本山永昌現住百川朝叟代 宝珠山地蔵院什物 世話人安藤善右衛門 天保十二辛丑年(一八四一)十一月吉祥日」と刻まれており、往時を偲ばせる。
 当社は、明治初年に稲荷社三社、熊野社を合祀し、同六年四月に村社となった。昭和三十六年、旧来の社殿の傷みが著しかったため、氏子全員の協力により本殿・拝殿を新築した。
 祭礼は一月の歳旦祭、三月の初午祭、七月の八雲神社例祭(祇園祭)、同二十四日の例大祭、十月のお日待ちの年五回である。
  境内社として「疱瘡社」「八雲社」を祀っている。