柏座・春日(かすが)神社

 

住所・・・上尾市柏座2-14-2

御祭神・・・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)・

     大山祇命(おおやまつみのみこと)・建御名方命(たけみなかたのみこと)


氏子地域・・・柏座、春日、谷津、富士見


 創建は、戦国末期、忍(おし)城主成田下総守(なりたしもうさのかみ)の家人であった曾我兵庫助祐昌(そがひょうごのすけひろまさ)が当地に住していたことから、主君成田氏の氏神として祀っていた行田市谷郷(やごう)の春日神社を勧請したものであると考えられている。
  『風土記稿』柏座村の項には、村の北方の丘にあった曾我氏の居館跡について、歌舞伎で知られる曾我十郎・五郎兄弟に付会して伝承された様子を載せている。
 また、同書には「芝宮明神社 村の鎮守なり、日乗院の持、末社神明社」、「春日社 当村および春日、谷津村の鎮守なり、持前に同じ、末社諏訪社」と二社が見え、当社は江戸期に柏座及び春日、谷津村の鎮守であったことがわかる。ちなみに、春日、谷津村はもと柏座村の内にあり、元禄期ごろに分村したとの経緯がある。
 別当の日乗院は、真言宗の寺院で、西光山長福寺と号する。かつては一○石の朱印地を有し、元暦二年(一一八五)道法上人の草創、あるいは永正元年(一五〇四)弘尊の開基とも伝えられる。
 明治初年、当社は村社となり、同四十年八月、芝宮社と合祀した。更に翌四十一年三月、谷津の鎮守氷川社を合祀したのを機に、柏座のほぼ中央に当たる芝宮社の旧境内へ鎮座地を移した。この時、氏子が春日社の旧社殿を神輿(みこし)のように担いで運んだという。春日社の跡地には今も「宝前(ほうぜん)前(まえ)」という地名が残る。
  昭和十八年に現本殿を造営し、同四十六年には、拝殿及び幣殿を新築した。
 境内社に「稲荷社」、「八雲社」、「第六天社」、「神明社」、「諏訪社」を祀る。