西宮下・天(てん)神社

 

住所・・・上尾市西宮下1-225
御祭神・・・菅原道真朝臣(すがわらのみちざねあそん)

 

氏子地域・・・西宮下

 『風土記稿』によれば、宮下の地名は、江戸期まで当村を含む五か村の鎮守であった谷津村の氷川神社が、もと当村に鎮座していたことによるという。ただし、この氷川神社が谷津村に移転した理由については明らかではない。
 当社は旧宮下村の中央にある高台に鎮座している。古老によれば、かつて、この高台には梅や松が生い茂り、木々の枝に子供たちが書初めの作品を下げたり、花の季節には、大勢の人々が花見に訪れるなど、地元の人々の憩いの場所であったという。また、高台の北端からは清水が湧き出し、小川となって、西に三〇〇メートルほど離れた鴨川に注いでいた。この清水は、当地の人々に農業用水や生活用水として用いられたという。
 当社の創建については不詳で、『風土記稿』には「天神社 村民の持」とある。古い天神信仰には、雨をもたらす雷神としての信仰があり、当地の人々が水の恵みに期待して水源である高台に当社を祀ったことは想像に難くない。
 当社は明治六年四月に村社に列した。昭和十六年に太平洋戦争が始まると、高台の東半分が軍需工場建設のため買収され、多くの木々が伐採された。そのため高台の景観は一変し、北端から湧き出していた清水も枯渇してしまったという。
  その後、県道川越上尾線建設に際して境内地の南半分が切り通しとなり、残された北側に社殿を新築し、境内社なども移転して昭和三十九年に遷座祭を執り行った。
  祭神の菅原道真公は学問の神として崇敬され、親しみを込めて「天神さま」と呼ばれている。
 年間の祭典は正月の歳旦祭、二月の祈年祭、七月の祇園祭、八月の縁日、十月のお日待ちの五回である。
 境内社に「稲荷社」「雷電社」「八雲社」「金比羅社」「浅間社」を祀る。