川・神明(しんめい)神社 

 

住所・・・上尾市川2-3-1

御祭神・・・大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)・天照大御神(あまてらすおおみかみ)


氏子地域・・・川


 『風土記稿』によれば、当地はもと今泉・向山・壱丁目の各村と共に大谷村と称していたという。寛永二年(一六二五)九月に「河村」一五〇石が旗本柴田筑後守に宛行(あてが)われていることから、江戸初期には既に一村となっていたことがわかる。
 当社の創建については伝わっていないが、隣村の向山の鎮守である神明社ではその縁起の中に、宝永五年(一七〇八)上総(かずさ)国から柴田氏陣屋跡に降った真鍮の御幣を祀った旨が記されており、当社の創建とのかかわりをうかがわせる。
 当社は、元来は現在の境内から南西におよそ一、五〇〇メートルの所に祀られていた。その辺りは村の中でも低地で、一度大雨ともなれば、一面水浸しとなってしまい、氏子の悩みの種であった。そこで、昭和四十七年に現在の地に移転し、社殿・鳥居・社務所を新築することとなった。
  今の境内は、もともとは江戸期における当社の別当十福寺の跡地で、この寺は神明山地蔵院と号し、今泉村の浄土宗十連寺の末寺であった。大正九年に火災で全焼し、その後は本寺の十連寺に合併され、境内も同寺の所有となっていた。
  氏子たちは、この土地を十連寺から買収して、当社を移転し、悲願を達成したのである。この経緯を後世に伝えるため『神明神社造営記念碑』を建立した。
  なお、当社の旧境内地は上尾市に売却し、現在は市民体育館の敷地の一部となっている。
  当地には「川の大じめ」と呼ばれる魔除けの行事がある。毎年五月十五日に大きな注連縄を作り、西方の今泉との村境まで運び常設の柱に下げ、村の悪霊災難除けとして祀る行事で、上尾市指定民俗文化財となっている。
 境内社に「愛宕社」、「厳島社」、そして「庚申塔(青面金剛)」を祀る。