小泉・八合(やごう)神社

 

住所・・・上尾市小泉8-9-1
御祭神・・・素戔嗚尊(すさのおのみこと)・大雷命(おおいかずちのみこと)・菅原道真朝臣(すがわらのみちざねあそん)


氏子地域・・・浅間台、井戸木、小泉、小敷谷、中妻、中分、弁財、領家、泉台


 当社は、古来「氷川社」と称し、『明細帳』には「往古ハ字宮山ニ鎮座アリシカ慶応三丁卯(一八六七)十一月移転ス、其際当国一ノ宮氷川社ヲ分祭勧請ス」とある。これに見える旧地の字宮山は、現在地の南西五〇〇メートルほどの「宮山」あるいは「元氷川」と呼ばれた所で、三井団地の敷地内に当たり、元は一帯が山林であった。
  慶応三年(一八六七)十一月に現在地に遷座移転し、明治六年(一八七三)に村社に列せられた。
  その後、明治四十年に大石村の小泉(こいずみ)・中分(なかぶん)・井戸木(いどぎ)・中妻(なかづま)・沖之上(おきのかみ)→浅間台(あさまだい)・弁財(べんざい)・小敷谷(こしきや)・領家(りょうけ)の八大字に点在していた三九社(境内社を入れると六四社)を小泉の村社氷川社に合祀し、社名を「八合神社」と号して成立した。合祀の中心に小泉の氷川社が選ばれた理由としては、小泉が八大字の中央に位置していたことや、小泉に大石村の役場が置かれていたことが挙げられる。また、社名については、八大字の各社の総代が協議して決したとの話が伝えられている。現在、境内にある幟立ては、合祀の際に小敷谷から移されたものである。
  小泉の地は寛文年間(一六六一~七三)に藤波村から分村したといわれ、藤波村の鎮守が天神氷川八幡合社であることから、このうちの「氷川社」を分村の前後に勧請したものと考えられる。その後現在地に遷座するにあたり、正式に武蔵一宮の大宮氷川神社から分霊を請うたのである。
 鎮座地は「氷川山」と呼ばれ、氏子区内でも一番の高台にある。その社叢(しゃそう)は“鎮守(ちんじゅ)の杜(もり)”と呼ぶにふさわしい景観をなし、社地を含む一体は上尾市指定保存樹林として保護されている。 また、昭和六十一年には「八合神社と周辺林」が『二十一世紀に残したい埼玉の自然一00選』の一つに選定された。