地頭方・氷川(ひかわ)神社

 

住所・・・上尾市地頭方113
御祭神・・・素戔嗚尊(すさのおのみこと)・天照大御神(あまてらすおおみかみ)・大雷命(おおいかずちのみこと)

 

氏子地域・・・地頭方


 南北朝~室町期ごろ、市域には大谷郷が成立していた。地頭方の地名は、建武元年(一三三四)四月十日の足利直義下知状(宇都宮文書)に見える大谷郷地頭職にかかわると考えられ、中世村落の系譜を引く村であることが推測される。
 当社の創建の年代は明らかではないが、『風土記稿』地頭方村の項に「氷川社 村内の鎮守なり 正円寺(しょうえんじ)持」とあり、当村の鎮守として祀られてきた社であることがわかる。ここに見える別当の正円寺は、当社の西北方一〇〇メートルほどの所にあった蓮華山と号する真言宗寺院で、開山秀賢は、寛正三年(一四六二)に没したという。
 神仏分離後、正円寺は廃寺となり、当社は明治六年四月に村社に列した。また、年代は不詳であるが、地内にあった神明社・雷電社を合祀したと伝える。なお、現在正円寺の跡地には地頭方公民館がある。
 当社の参道を進んで社前に至ると、まず目につくのが、見上げるばかりに堂々とした体格を誇る狛犬である。これは、江戸末期から明治期にかけて氏子の島田鶴吉が運送業で財を成したことから、神恩に感謝して同氏により明治二十八年に奉納されたものである。また、一〇〇メートルほどの参道は、昭和二十五年に時の総代島田道教から寄附された土地を氏子総出で整備したものである。島田道教は、先の島田鶴吉の子に当たり、島田家の当社に寄せる崇敬の厚さをうかがわせる。
 祭礼は正月の歳旦祭、三月のふせぎ(春祈祷)、七月の祇園祭、例祭、十月のお日待ちの年五回である。七月の例祭には「雨降り神楽」と呼ばれたお神楽が作物の無事生育を願って奉納されていた。
 境内社に「稲荷社」「疱瘡社」、境外社に「天神社」「八雲社」を祀る。