向山・神明(しんめい)神社 

 

住所・・・上尾市向山3-2-6
御祭神・・・大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)・天照大御神(あまてらすおおみかみ)

 

氏子地域・・・向山

 当社は、旧中山道から西に約一キロメートル離れて鎮座している。
 創建については、当村の庄屋の書き記した草稿を基に、正徳元年(一七一一)に竜谷山知足院(桶川市下日出谷)の密乗沙門盛典が著した「向山神明御縁起」に詳述されている。
  それによると、元禄八年(一六九五)に地頭の暴政に困窮していた村民は、地内の祈願所の金蔵院(こんぞういん)から伊勢神宮を遙拝し、神明の加護を祈願したところ、元禄十一年に地頭の陣屋は召し上げとなった。村民は、神恩に感謝し、下賜された旧陣屋御用地の一角に社(やしろ)を建立し、金蔵院に申し入れて、天照大御神を勧請した。 その後、宝永五年(一七〇八)四月六日の夕刻に雷鳴と共に真鍮の幣束が当地へ飛来し、当社の前の畑に突き刺さった。
  幣束には「貞享三年丙寅(一六八六)廻啓蟄吉祥日江戸堀江町三町目河村多兵衛」の銘があり、その銘に従って尋ねたところ、上総(かずさ)国市原郡牛久(うしく)村(現千葉県市原市牛久)の神明社に奉納されていたもので、その後、神託により当社に飛来したものであることがわかったため、河村多兵衛により奉納された白木の厨子(ずし)に入れ、本殿に納められた。この幣束は現在も本殿内に納められ、御神体として崇められている。別当の金蔵院は、神仏分離後、廃寺となり、当社は明治六年四月に村社に列した。創建当初から数々の霊験を示した当社は「大神宮(だいじんぐう)様」と呼ばれて篤い崇敬を集めている。
 祭礼は正月の歳旦祭、四月六日の例大祭、九月一日の風鎮祭、十月十四日のお日待ちの年四回である。 境内社に「春日社」、「稲荷社」、「八幡社」「石尊様」「白山社」「三峯社」「榛名社」「天王社」を祀る。