樋之詰・氷川(ひかわ)神社 

 

住所・・・桶川市川田谷215
御祭神・・・素戔嗚尊(すさのおのみこと)

 

氏子地域・・・桶川市川田谷樋詰

 当社が鎮まる樋(ひの)詰(つめ)の地は、荒川左岸の低地に位置し、古くから度重なる水害を被ってきた。樋詰は川田谷村の枝郷で、慶安ニ~三年(一六四九~五〇)の『田園簿』では本村に含まれており、元禄十五年(一七〇二)の『元禄郷帳』では川田谷村枝郷として樋詰村一〇二石余と記される。また、口碑によれば、樋詰の開発当初の村人は長島一家だけであったという。
 その創建は川田谷村から分村する過程で祀られたことが推測され、長島一家とのかかわりも考えられる。化政期(一八〇四~三〇)の『風土記稿』川田谷村枝郷樋詰村の項には「氷川社 村の鎮守なり、川田谷村西光寺の持」とあり、当時の家数は三三戸とある。
 参道入口の鳥居に掲げる「氷川大明神」の額には、裏に「元文四未(一七三九)天十一月吉日 武州足立郡石戸領樋詰村氏子中」と刻まれており、当社の最も古い史料となっている。また、本殿に安置する金幣には「奉献心願成就 明和六己年丑(一七六九)二月吉日」「願主伊勢屋丑兵衛」と記されている。
 明治六年に当社は村社となり、その後昭和四十二年には社務所兼集会所を改築した。また、往時の別当西光寺は既に廃寺となっており、その跡には墓地が残る。
  祭神の素戔嗚尊は八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したことで有名であるが、八岐大蛇とは一説には大雨で暴れた川を表し、その水害を鎮めるための守り神として祀られたと考えられる。
  祭礼は正月の歳旦祭、二月の恵比須講(祈年祭)、十月のお日待ち、十一月の恵比須講(新嘗祭)の年四回である。
 社殿東隣に「稲荷社」を祀り、境内南東には「庚申塔(青面金剛)」が祀られている。